温泉が世界を救う!…ハズ。
温泉ソムリエによる、愛すべき温泉の話。
九州各県の温泉ソムリエが愛する温泉について語ります。
一周目は家族湯!
皆さぁ、おやっとさぁ。(皆さん、お疲れさま。)
身長6尺、体重30貫。薩摩の英雄、西郷さんと同じ体型の温泉ソムリエ師範六三四(むさし)でごわす。鹿児島と宮崎の温泉そのほとんどを巡った薩隅日温泉ヘンタイごわす!
昨年、大河ドラマ「西郷どん」、明治維新150年で桜島の溶岩のようにタギリまくった鹿児島。維新の立役者となった西郷さんや大久保利通も温泉をこよなく愛していました。そして、令和元年は鬼島津と恐れられ、関ケ原の戦(慶長5年・1600年)における敵中突破で名を馳せた島津義弘公没400年。その義弘公も温泉を愛でた一人で、霧島の鉾投温泉や宮崎県の吉田温泉は公ゆかりの温泉として知られています。
お殿様さまだけでなく庶民にいたるまで身分の上下に関係なく愛された薩摩の湯。温泉を『フロ』と呼び、温泉に行く事を「フロイケイタックデ(温泉に入りに行ってくるね)」と言う独特の温泉文化が根付いている鹿児島。戦国時代『戦闘』で傷ついた薩摩の兵を癒した湯と薩摩隼人の荒ぶる熱い魂は平和な時代に受け継がれ、県民の多くは自家用車に風呂道具を積み、いつでも温泉に入る『銭湯』態勢を維持しています(笑)
さて、僕のフロ人生のスタートは小学校に入る前。じいちゃんと鹿児島市内の「みその温泉」(現在廃業)、ばあちゃんと薩摩川内市「川内高城温泉竹屋」での長期湯治が始まりです。家の風呂と同じように、いや、それ以上に温泉に入る日々を過ごしていた幼少期から青年期。そして、いつの日からか鹿児島にいくつ温泉があるのか?全部に入りたい!という探究心とフロ欲望が芽生え、南北600km離島を含めた鹿児島県内の温泉を巡る事となったのです。多くの名湯、珍湯、迷湯との出会いと喜び、そして廃業での別れと悲しみを乗り越え、鹿児島だけで1,000か所以上の温泉や銭湯に入ることが出来ました。
そのただの温泉ヘンタイが、今ではテレビや情報誌での温泉企画監修に携わり、温泉講演や温泉コラム執筆などが生業に。温泉経営者でもないのに温泉が仕事…人生何があるかわからないとはこの事だと切に感じています。
鹿児島は源泉数2,753(全国2位)、湧出量157,989リットル毎分(全国3位)、10種の療養泉のうち9種を有し、さらに温泉利用の公衆浴場数は543で西日本一を誇る文句なしの“温泉県”(環境省:平成29年度温泉利用状況)。浴場形態も様々で指宿の砂むし温泉や十島村悪石島の砂むし寝湯など全国的にも珍しい温泉もあります。
しかし、今回のテーマ『家族湯』は、熊本のぴちこさんも書いていましたが、鹿児島県民にとっては極々当たり前の温泉施設で、家族湯のみの営業形態が南九州独特の温泉文化だと初めて聞いた時、それはそれは驚きました。まさに青天の霹靂と呼ぶに相応しい「マジっすか!?」状態だったのを鮮明に記憶しています。
鹿児島では霧島市の日当山(ひなたやま)温泉、日置市の湯之元温泉の二温泉地が家族湯の多い地域です。特に大小20施設ほどの家族湯、貸切湯がある日当山は週末だけで1万人以上の浴客があります。
この背景にはプライベート嗜好での大浴場離れ、また伝統の長湯形式から離れスタイルと利用者ニーズに沿った選択の幅、鹿児島県の中央部に位置し、且つ交通インフラが整っており隣県からのアクセスが容易な立地が理由として考えられます。
日当山に現在の家族湯形態と同じ長屋式家族湯が出来たのは、熊本の山鹿同様の昭和40年代。しかしながら、それ以前に家族湯らしき形態の浴場がありました。戦後GHQの民主化政策による公娼制度の廃止(昭和21年・1946年)期に存在した赤線と呼ばれた地帯に“らしき”浴場があったといわれています。そこで何が行われていたかはご想像にお任せしますが、家族湯が生まれた背景には性風俗が密接に関係していたようです。但し、確たる史料、資料からではなく、あくまで地域伝聞レベルでの話であるという事を最後に付け加えておきます。
では何故、僕が家族湯発祥は鹿児島と断言するのか?
理由は鹿児島市の温泉史を調べる中で偶然見つけた資料。正確には温泉開業のチラシです。
昭和4年(1926年)に開業した「鹿児島温泉」の広告チラシに男女別大浴場の他に「かぞくゆ」の文字と平面図での浴場が描かれていました。そこには鹿児島家族湯の伝統形態と考えていた長屋式ではなく離れの家族湯。これには衝撃を受けました。今では全国各地に点在する離れ型ですが、戦前、しかも全くと言っていい家族湯不毛地帯の鹿児島市に存在していたのです。
「鹿児島温泉」は現在の鹿児島市下荒田地区にありました。鹿児島市街地初の掘削温泉で大隅半島の垂水市海潟温泉にて成功した上総掘りでの掘削が行われています。当時の資料によると、大正15年に着工し完工が昭和4年。掘削深度は1440尺(約436m)。始め温泉パイプは竹管で後に鉄管に変更。泉質は弱食塩泉と記載があります。残念ながら荒田地域で当時を知る方はほとんど生存しておらず、幻の温泉と呼ぶ方も少なくありません。当時の新聞には開湯式で花火が打ち上げられ、初日に3,000人もの浴客が訪れ大盛況だったと書かれています。
令和元年現在、1枚のチラシが鹿児島市家族湯発祥を裏付ける貴重な手掛かりとなっています。但し、疑問が残るのは「かぞくゆ」という言葉はココがはじまりだったのか否か。「鹿児島温泉」開業それ以前に家族湯と言われる温泉が鹿児島に存在していたのではないかという事です。家族湯の起源については今後も検証を重ねていく必要があり様々な視点でアプローチしていこうと考えています。
とりあえず現段階で「家族湯の発祥は鹿児島!」とういうことで(笑)
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