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コロナ禍で収入ゼロになった 女社長が100日間無職で過ごして “九州が天国”だと気づいた話

コロナ禍で収入ゼロになった 女社長が100日間無職で過ごして “九州が天国”だと気づいた話

社会に大きな変化が起こり、大企業を中心に多くの企業が
一時在宅勤務に切り替えるなど、いわゆる「ビジネスパーソン」
の働き方は、“コロナ以前”とくらべて大きく変わりました。

そんな中で。

福永


「人生観が“激変”しちまった方に、ぜひ話を聞いてみたい…」

そう思ったライター・福永が真っ先に頭に浮かんだ方。
それが、熊本在住で、パリやミラノ、バンコク、シンガポールなどの
海外とのモデル事務所とのマッチングを専門とされている
「Bianco e Rosso(ビアンコ エ ロッソ)」の西尾聖子(にしおしょうこ)さんでした。

世界を相手にビジネスに熱狂していたワーカ・ホリックの聖子さんから飛び出した
「私の住んでいる九州は、天国だったと気づいたの」というまさかの言葉。
そういえば、あんなにパリピみたいだったのに、
どことなくお顏の表情も、大仏さまのようにやわらかくなっているような…

以前から聖子さんを知っている私としては、
「アナタダレデスカ?」 
…目をまんまるくして驚いてしまったのです。

 

聖子さんの海外出張の必需品。もちろん2020年6月末現在、出番なし

 

数日間で私の周りも大きく変わり、
ついにまともに渡航できる国がなくなった
(中略)
「海外」「海外」とそればかり頼ってきて
グローバルに動き回ることだけにフォーカスして
生きてきた私にとって本当に試されている感がある
四方八方塞がれて檻の中に封じこまれた

Bianco e Rossoブログより)

 

私が知っている聖子さんといえば、
いわゆる“バリキャリ女性”の代表格みたいな方で。
手も足もカニのように長く、はるか遠くからも、その高らかな笑い声がひびきわたる…
そう、底抜けの“陽キャラ”さんです!

自身が元モデルというキャリアを生かした「海外モデルプロデューサー」
という仕事を心から楽しみ、常に世界中を飛び回っている、生命力の塊みたいな方だったんです。
ちなみに、この海外モデルマッチング事業を専門とする会社は、日本初!

そんな聖子さんのブログに書かれていたのが、さきほど紹介した言葉でした。

「海外に行けたくても行けない、頭を抱える日々」。

自力ではどうすることもできない悲痛な叫びとともに、
いつもの、ハッピーポジティブオーラがパタッと消え…
海外をフィールドに仕事をしている方の、リアルな“苦悩”を知ったのです。

 

世界を飛び回るノマドワーカーの社長が突如「無職」になり、
実質的に、“収入ゼロ”になってしまったら…。
いわゆる“コロナ以前”とくらべて、どんな世界がうつっているんだろう。
そんなことが知りたくなり、聖子さんが“ニート100日”を目前に控えた
6月のある日、熊本市内でインタビューを行いました。

 

◾️話を聞いた人: 西尾 聖子

ファッションモデルの海外進出を支援する「Bianco e Rosso」代表。海外在住歴も長く、自身も元モデルというキャリアをもつ。「世界に通用するモデルになりたい!」と願うアジア人モデルと、海外をつなぐ架け橋的存在。
https://bianco-e-rosso.com/index.html

 

 

小さな島国を出てモデルたちよ、海外を目指すのだ!

長年パリやミラノのファッション業界に携わった経験を生かし、“海外モデルコンサルタント”として活躍

 

聖子さん、おひさしぶりです。(あら、思ったより元気そう…!?)
コロナ禍、本当に大変だったと思うので…勝手に心配してました。
ぶっちゃけ、いまの仕事の状況って、どんな感じですか?

 

聖子さん


ひさしぶり! もう大変も、大変、まいったわよ〜。
毎日外務省のHPを見て、自分に縁とゆかりのある国・都市の事情を
追っかけることが、ここ3カ月の私の仕事のすべて。
あとは、すでに手配していた宿や飛行機のキャンセル作業。本当にそれだけ。 

福永


それは、本当に大変でしたね…。

聖子さん


ずっと前だけを向いて歩いてきた人生だったのに、
その歩いてきた道のりを、“消しゴムで消していく”ような作業が仕事になった。

福永


何とも、印象的な言葉。

聖子さん


その作業は、一切、お金を生まないからね。
最初の1〜2カ月はひたすらその繰り返しで、本当にきつかったな。

福永


聖子さんはもともと海外に住まれていたり、モデルの経験もあって、
昔から「海外志向」が強い方ですよね。
余談ですが、某代理店の忘年会の際、突如壇上に上がって、
イタリア人の通訳をベラベラと始めたときはおったまげましたよ。

 

その海外への憧れや、想いというのは小さい頃から?

 

聖子さん


うん。日本っていう社会が、私にとって、ちょっと“生きにくい”場所ってことが小さいながらにわかってたんだよね。
日本人って、全員同じ髪の色・同じ瞳の色で、何だか人の顔色を見て
自分の意見を言うようなところがあるでしょう?
海外に出て気持ちがラクになったというか、「君は君だよ」という考えが、私にはとても合ってると気づいた。

 

聖子さんのパスポート。海外でのビジネス成功こそが、人生のすべてだった

 

福永


なるほどなあ…。海外って、まさに“個性”を伸ばしていくような教育ですよね。
 

聖子さん


そう。日本という島国単位で物事を考えるのではなく、すべてを“地球単位で考える”ことの大事さを、モデルビジネスの世界で実現したくって。

モデルたちの可能性やキャパシティーを広げてあげたいし、
海外とアジアをつなぐモデルプロデュース業が本当に天職だと思っていた。

 

外にはこんなに広い世界があって、「あなたがいまいるところだけがすべてじゃないよ」
というメッセージも伝えたかったんだよね。

 

 

海外へのチャレンジって、モデルプロデュース業界という枠組みでは珍しかったんじゃないですか?

 

聖子さん


そうなんだよね。この業界を“専門”とした会社は、日本ではまだ誰もやっていない挑戦だった。

福永


誤解をおそれずいうと、モデルとして世界で通用する人って本当にひと握りで、なかなか“希望をもてる”業界と思えないというか…。

聖子さん


ピンポンだね。でもね、実は365日だいたい
世界中のあちこちでファッションショーや展示会ってやってるんだよ。
要するに、チャンスを増やして、若いモデルの子たちの夢を広げたかった。その想いは、いまも変わらない。

 

 

 

全スケジュール無期限延期。おらニートさなっちまった

ビキニにサングラス、どう見ても怖いもの知らずのパリピ社長である。 コロナ以前は海外出張の予定も数ヶ月先までビッシリ

 

それで実際に挑戦してみると、思ったよりアジア需要のチャンスがあることがわかった、と。

 

聖子さん


そう。その扉が開かれる・開かれないは、もちろん“運”によるところも大きいんだけど、
(扉を)開かないと、運は開かないよね。

福永


会社としてチャンスは与えるけれど、それを掴めるかどうかは、本人次第ですよね。

聖子さん


そうそう。でも「海外に挑戦したい!」と相談してくれるモデルがどんどん増えていって、これまで約250人くらいは海外に送り出したかなあ。
まあ、3月までのスケジュールを見てもらったらわかるんだけど、ほぼ日本にいない日々(笑)。
日本にいたとしても、ほとんど東京都内という感じだったから、九州はおろか、熊本にはまったく。

福永


SNSを見る限り、「この人空港に住んでいるのか」と思ってましたよ(笑)。
世界中を回りつつ、スーツケースの中身を替えに、熊本に帰ってくる感じですか(笑)。

聖子さん


うん、うん(笑)。

 

 

コロナ以後は、すでに決まっていたスケジュールのキャンセル作業にほぼすべての時間を費やした。 「歩いてきた道のりを“消しゴムで消した”」という言葉が印象的

 

福永


もちろん、飲食業や宿泊・観光業界をはじめ、多くの業界の方が大変な思いをされたのですが、本当に徐々にですが、みなさん“いまできること”が何かを考え、それを実施されていますよね。
ところが聖子さんの場合は、「海外に行けない」と、現在のビジネスは一切成り立たない。
そして、その状態がいまも続いていて。現地の情報が刻一刻と変わっている状態ですよね。
どのタイミングで、“こりゃやばいな”っていうスイッチ入りました?

 

聖子さん


そうだなあ…。1月末から2月上旬にかけてパリとミラノに行かなきゃならなかったんだけど、その頃には、もう徐々にニュースは聞こえはじめてきていたかな。
2月18日からファッションウィークがはじまったけど、その時にはイタリアが大変なことになっていて。
それから3月5日に、海外にいるモデルも全員引き上げて、日本に帰国した。

福永


3月初めかあ…まだこっちでは、普通に対面打ち合わせ、対面取材とかしてましたね…。

聖子さん


4月にフィリピン・台湾、5月にパリ・ミラの予定だったから、
渡航予定のモデルたちを励まして、「絶対大丈夫だよ、きっとじきに収まるよ」って毎日声をかけて。
でも20日を過ぎたあたりから、「ちょっと無理かも、ごめんね」という気持ちになって…。
私自身もどんどん外にも出れなくなって、何をすべきか、何が正解なのかが、まったくわからなくなった。

福永


つまり…に、「ニート」に。

聖子さん


100日間、一回も目覚まし時計かけてない。

 

 

 

“九州”で人生取り戻した女の独白はつづく 

聖子さん


最初、このコロナっていうウィルスに人生の全部をとられたと思っちゃったんだよね。
仕事で世界中を飛び回って、各地の美味しいモノを食べて、経験を積んで、仲間に恵まれて…
どこからみても順風満帆でしかなかったのに、収入もなくなる、夢もなくなる…で、もう自暴自棄。

福永


ずっと前だけ向いていたのに。コロナ禍でも“通常営業”な人たちを目にすると、
羨ましく思ったりしちゃいますよね、私も約2カ月近く貴族みたいな生活だったんで、わかります(笑)。

聖子さん


そう。でも、G.W期間中は世界中の人たちが一気に身動きできなくなったでしょ。
そこで冷静に考えたときに、これまで“忙しさを理由にできなかったこと”にすべて挑戦しようと思ったんだ。

本を大量に購入したり、“MoMA”のオンライン受講をスタートしたり、現代アートの学びを深めたり。

その時くらいから、不思議と、「九州に住んでて本当によかったな」って、思いはじめたんだよ。

 

あんなに退屈だと思っていた、小さな島国の、小さな島(アイランド)に、実はほしいものがすべてあった。
ずっと「ここには刺激なんてない!」と思っていたのに。太陽は毎朝高く昇って、空気は澄んで、
水が美味しくて、食べものにも恵まれていて、人もあたたかくて…。

 

「小さな島国の、小さな九州アイランドに、いまほしいものが全部あった」と語る聖子さん。 100日間ニート生活を経て気づいた、初めての感情だったという

 

 

福永


いままでその価値に気づかなかったけれど、九州はずっとそこに“或った”。

聖子さん


私はもともと海とか島が好きだったから、海外ばかりにいってたんだけど、「え、もう九州でいいじゃん!」って、遅ればせながら気づいた(笑)。

福永


浄化されていった、と。

聖子さん


ちゃんと住むことを意識したら、気持ちもどんどん上向きになっていった。
海のそばに何冊も本を持っていって、7時間でも8時間でも、ずーっと一人で読書に没頭して。
特に、私にとっては上天草市の浄化パワーがすごくて。

都内や、パリや、ミラノにいたら、本当にどこにも行けなかったと思う。
九州にこんなに感謝をしたことないし、もし海外の仲間たちが日本に来られるようになったら、
「私の住んでいる九州は、天国なのよ!」って自慢したいくらいよ(笑)。

福永


九州って、天国だったんだあ。

聖子さん


そうよ、この九州アイランドは天国だったのよ。

それからさらに約1時間、聖子さんの九州への想いが語られました(長ぇ)。

「どこで生きる」「どこで働く」という選択肢が自由に選べる
世界に生きている私たちは、“どこにでも行ける”という想いと同時に、
“ずっとここで生きていく”という決断をできるのだと。

もちろん海外渡航のめどは未だたたず、現在も“ニート”続行中。
それでも。九州の大自然の中で、会いたい人に会い、学びたいものを学び、
想像力の解像度を上げながら…人生を生き直している聖子さんは、以前よりもっとまぶしくうつるのです。

 

 

〜アフタートーク〜

 

取材後、「オンラインでいろんな仕事の依頼が入ってくるようになったよ」と明るいニュースが届きました。

 

アフターコロナで動き出す時までをこの九州で過ごし、最高な環境の中で、
アイデアもどんどん浮かぶという素敵な連鎖反応の日々です。
美しいものに囲まれていると想像力はドンドンと拡張されます。
その環境というのが九州だと思います。(西尾聖子)

 

(構成・取材・撮影/福永あずさ)

この記事のライター

福永 あずさ

Touch your Qshuの編集長。高校まで宮崎暮らし。カメラマンの夫と愛猫と、熊本の水前寺の古いアパートでぼんやり暮らしてます。バーと離島とスナックが個人的なパワスポ。年に2・3回、日本の酒場をめぐるひとり旅に出ます。遊ぶことに関して脅威の集中力を発揮しますが、請求書をすばやく出す、掃除機をきちんとかける、などの生きていく力がほぼ皆無。一年中唐揚げ食べてます。

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