社会に大きな変化が起こり、大企業を中心に多くの企業が
一時在宅勤務に切り替えるなど、いわゆる「ビジネスパーソン」
の働き方は、“コロナ以前”とくらべて大きく変わりました。
そんな中で。
そう思ったライター・福永が真っ先に頭に浮かんだ方。
それが、熊本在住で、パリやミラノ、バンコク、シンガポールなどの
海外とのモデル事務所とのマッチングを専門とされている
「Bianco e Rosso(ビアンコ エ ロッソ)」の西尾聖子(にしおしょうこ)さんでした。
世界を相手にビジネスに熱狂していたワーカ・ホリックの聖子さんから飛び出した
「私の住んでいる九州は、天国だったと気づいたの」というまさかの言葉。
そういえば、あんなにパリピみたいだったのに、
どことなくお顏の表情も、大仏さまのようにやわらかくなっているような…
以前から聖子さんを知っている私としては、
「アナタダレデスカ?」
…目をまんまるくして驚いてしまったのです。
数日間で私の周りも大きく変わり、
ついにまともに渡航できる国がなくなった
(中略)
「海外」「海外」とそればかり頼ってきて
グローバルに動き回ることだけにフォーカスして
生きてきた私にとって本当に試されている感がある
四方八方塞がれて檻の中に封じこまれた
私が知っている聖子さんといえば、
いわゆる“バリキャリ女性”の代表格みたいな方で。
手も足もカニのように長く、はるか遠くからも、その高らかな笑い声がひびきわたる…
そう、底抜けの“陽キャラ”さんです!
自身が元モデルというキャリアを生かした「海外モデルプロデューサー」
という仕事を心から楽しみ、常に世界中を飛び回っている、生命力の塊みたいな方だったんです。
ちなみに、この海外モデルマッチング事業を専門とする会社は、日本初!
そんな聖子さんのブログに書かれていたのが、さきほど紹介した言葉でした。
「海外に行けたくても行けない、頭を抱える日々」。
自力ではどうすることもできない悲痛な叫びとともに、
いつもの、ハッピーポジティブオーラがパタッと消え…
海外をフィールドに仕事をしている方の、リアルな“苦悩”を知ったのです。
世界を飛び回るノマドワーカーの社長が突如「無職」になり、
実質的に、“収入ゼロ”になってしまったら…。
いわゆる“コロナ以前”とくらべて、どんな世界がうつっているんだろう。
そんなことが知りたくなり、聖子さんが“ニート100日”を目前に控えた
6月のある日、熊本市内でインタビューを行いました。
◾️話を聞いた人: 西尾 聖子
ファッションモデルの海外進出を支援する「Bianco e Rosso」代表。海外在住歴も長く、自身も元モデルというキャリアをもつ。「世界に通用するモデルになりたい!」と願うアジア人モデルと、海外をつなぐ架け橋的存在。
https://bianco-e-rosso.com/index.html
ひさしぶり! もう大変も、大変、まいったわよ〜。
毎日外務省のHPを見て、自分に縁とゆかりのある国・都市の事情を
追っかけることが、ここ3カ月の私の仕事のすべて。
あとは、すでに手配していた宿や飛行機のキャンセル作業。本当にそれだけ。
ずっと前だけを向いて歩いてきた人生だったのに、
その歩いてきた道のりを、“消しゴムで消していく”ような作業が仕事になった。
その作業は、一切、お金を生まないからね。
最初の1〜2カ月はひたすらその繰り返しで、本当にきつかったな。
うん。日本っていう社会が、私にとって、ちょっと“生きにくい”場所ってことが小さいながらにわかってたんだよね。
日本人って、全員同じ髪の色・同じ瞳の色で、何だか人の顔色を見て
自分の意見を言うようなところがあるでしょう?
海外に出て気持ちがラクになったというか、「君は君だよ」という考えが、私にはとても合ってると気づいた。
そう。日本という島国単位で物事を考えるのではなく、すべてを“地球単位で考える”ことの大事さを、モデルビジネスの世界で実現したくって。
モデルたちの可能性やキャパシティーを広げてあげたいし、
海外とアジアをつなぐモデルプロデュース業が本当に天職だと思っていた。
外にはこんなに広い世界があって、「あなたがいまいるところだけがすべてじゃないよ」
というメッセージも伝えたかったんだよね。
そうなんだよね。この業界を“専門”とした会社は、日本ではまだ誰もやっていない挑戦だった。
ピンポンだね。でもね、実は365日だいたい
世界中のあちこちでファッションショーや展示会ってやってるんだよ。
要するに、チャンスを増やして、若いモデルの子たちの夢を広げたかった。その想いは、いまも変わらない。
そう。その扉が開かれる・開かれないは、もちろん“運”によるところも大きいんだけど、
(扉を)開かないと、運は開かないよね。
そうそう。でも「海外に挑戦したい!」と相談してくれるモデルがどんどん増えていって、これまで約250人くらいは海外に送り出したかなあ。
まあ、3月までのスケジュールを見てもらったらわかるんだけど、ほぼ日本にいない日々(笑)。
日本にいたとしても、ほとんど東京都内という感じだったから、九州はおろか、熊本にはまったく。
うん、うん(笑)。
そうだなあ…。1月末から2月上旬にかけてパリとミラノに行かなきゃならなかったんだけど、その頃には、もう徐々にニュースは聞こえはじめてきていたかな。
2月18日からファッションウィークがはじまったけど、その時にはイタリアが大変なことになっていて。
それから3月5日に、海外にいるモデルも全員引き上げて、日本に帰国した。
4月にフィリピン・台湾、5月にパリ・ミラの予定だったから、
渡航予定のモデルたちを励まして、「絶対大丈夫だよ、きっとじきに収まるよ」って毎日声をかけて。
でも20日を過ぎたあたりから、「ちょっと無理かも、ごめんね」という気持ちになって…。
私自身もどんどん外にも出れなくなって、何をすべきか、何が正解なのかが、まったくわからなくなった。
100日間、一回も目覚まし時計かけてない。
最初、このコロナっていうウィルスに人生の全部をとられたと思っちゃったんだよね。
仕事で世界中を飛び回って、各地の美味しいモノを食べて、経験を積んで、仲間に恵まれて…
どこからみても順風満帆でしかなかったのに、収入もなくなる、夢もなくなる…で、もう自暴自棄。
そう。でも、G.W期間中は世界中の人たちが一気に身動きできなくなったでしょ。
そこで冷静に考えたときに、これまで“忙しさを理由にできなかったこと”にすべて挑戦しようと思ったんだ。
本を大量に購入したり、“MoMA”のオンライン受講をスタートしたり、現代アートの学びを深めたり。
その時くらいから、不思議と、「九州に住んでて本当によかったな」って、思いはじめたんだよ。
あんなに退屈だと思っていた、小さな島国の、小さな島(アイランド)に、実はほしいものがすべてあった。
ずっと「ここには刺激なんてない!」と思っていたのに。太陽は毎朝高く昇って、空気は澄んで、
水が美味しくて、食べものにも恵まれていて、人もあたたかくて…。
私はもともと海とか島が好きだったから、海外ばかりにいってたんだけど、「え、もう九州でいいじゃん!」って、遅ればせながら気づいた(笑)。
ちゃんと住むことを意識したら、気持ちもどんどん上向きになっていった。
海のそばに何冊も本を持っていって、7時間でも8時間でも、ずーっと一人で読書に没頭して。
特に、私にとっては上天草市の浄化パワーがすごくて。
都内や、パリや、ミラノにいたら、本当にどこにも行けなかったと思う。
九州にこんなに感謝をしたことないし、もし海外の仲間たちが日本に来られるようになったら、
「私の住んでいる九州は、天国なのよ!」って自慢したいくらいよ(笑)。
そうよ、この九州アイランドは天国だったのよ。
それからさらに約1時間、聖子さんの九州への想いが語られました(長ぇ)。
「どこで生きる」「どこで働く」という選択肢が自由に選べる
世界に生きている私たちは、“どこにでも行ける”という想いと同時に、
“ずっとここで生きていく”という決断をできるのだと。
もちろん海外渡航のめどは未だたたず、現在も“ニート”続行中。
それでも。九州の大自然の中で、会いたい人に会い、学びたいものを学び、
想像力の解像度を上げながら…人生を生き直している聖子さんは、以前よりもっとまぶしくうつるのです。
取材後、「オンラインでいろんな仕事の依頼が入ってくるようになったよ」と明るいニュースが届きました。
アフターコロナで動き出す時までをこの九州で過ごし、最高な環境の中で、
アイデアもどんどん浮かぶという素敵な連鎖反応の日々です。
美しいものに囲まれていると想像力はドンドンと拡張されます。
その環境というのが九州だと思います。(西尾聖子)
(構成・取材・撮影/福永あずさ)
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「人生観が“激変”しちまった方に、ぜひ話を聞いてみたい…」